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介護をした体験談から感じたこと|介護保険制度・要介護認定申請・面談について

介護保険制度について

今回は介護のお話です。体験談になります。

介護保険制度って何?

介護保険制度が始まったのは2000年です。もうすぐ、20年ですね。

始まった当初は、私も30代で、他人事のように感じていました。

関係あるのは40歳からですが、いつ介護をする立場になるか わかりません。

なんとなくでも知っておいた方がいいです。

 

40歳以上が被保険者となります。

 

65歳以上が第1号被保険者で、40歳以上65歳未満が第2号被保険者となります。

 

第2号被保険者は要介護・要支援の認定を申請した場合に被保険者証が発行されます。

 

最も重いのが要介護5です。要支援は1~2までレベルがあります。

 

介護が必要な人は増え続けて、開始から3倍になったと言われています。

介護した体験、その時に感じた 介護保険制度について書きます。

 

義父の介護のはじまり|老老問題について思う

義父は亡くなっています。

それまでは、子供を義母に預けて、派遣社員として働いていました。

その生活が無理になり、そこから在宅の仕事をメインにしました。

 

在宅でできる仕事もたくさんあります。

参考 副業ナビ

 

ある日突然、義父が、末期がん、余命3ヶ月の告知を受けました。

そこから、約一年間、入退院が続きました。

 

抗がん剤は最初だけ入院。あとは通院。放射線治療も通院です。

病院への送迎などは、私がしていました。

 

家族が病気になる、介護って思った以上に大変でした。

高齢な義母には、そこまで動けないんです。

義母にも持病があり、検査・通院しています。

 

毎日の洗濯。特別な食事(介護食)の支度。

特に病気が悪化してからの自宅療養の時が一番大変でした。

廊下が排泄物だらけになったこともありました。

トイレに流してはいけないオムツを流して、水が詰まったこともあります。

 

四六時中目が離せなくなります。夜中だって呼ばれます。

寝ている義母が起こされていました。

 

義父は、排泄物の世話だけは私がやることを拒否しました。

失敗した時に「私に出ていってくれ」と言いました。

 

本人も、身体の自由がきかなくなり、時には家族にあたるようになりました。

義母も精神的に不安定になる。

家族内で喧嘩をするようになりました。

みんな いっぱいいっぱいでした。

 

これが長く続き、高齢の夫婦が1対1でお世話をする。

想像以上に大変なことだと思いました。

 

同居で環境は恵まれている方です。

それでも、家族以外の人の助け、プロの人の力を借りたいと思いました。

 

自宅介護かホスピスかの選択

医師に呼ばれて、残された時間をどうするか考えて下さいと言われました。

自宅療養かホスピスの選択ですね。

病院は、治療目的じゃないといられない。退院しないといけなくなりました。

 

もうすぐ動けなくなるでしょう。

自宅療養が希望であれば受け入れる体制を整えてください。

詳しくは、がん相談支援室で聞いてくださいと言われました。

 

その足で、がん相談支援室に行きました。

在宅看護、緩和ケアの話を聞きました。

その時、初めて介護保険制度について聞きました。

 

介護保険認定の申請

がん相談支援室の方に、最初にすることは介護保険の申請。

急ぎなさいと言われました。

手続きに時間がかかるから事情を説明して、なるべく早く訪問してもらえるように 。

お願いしないと後回しになってしまいますよと。

 

医療保険と介護保険、両方を上手に利用するといいって言われました。

どちらも併用できることを初めて知りました。

 

認定は、ケアマネジャーさんが判断をする。

入院中でも、病院で面談できるとのことでした。

 

すぐに 市役所の高齢福祉課に行きました。

病院から話がいっていて、週末には病室に訪問してもらえることになりました。

 

医師から話をされた その日に、すべて決まりました。

慌ただしい一日でした。

落ち込んだりしてる暇はないんですね。

 

義父は、まだ意識もしっかりしていて、一人で歩き、一人で食べ、一人で排泄できていました。

本人との面接が必ず必要です。介護認定のためと言いづらかったです。

なので、市の健康チェックと話してもらうようにお願いしました。

 

ケアマネージャさんの前では、冗談も言って、楽しそうに会話していました。。

何を聞かれても、できますって。それじゃ、要介護認定がおりない。

病室の外で聞きながら苦笑いしてしまいました。

 

認定がおりるまでの時間

結局、認定がおりたのは、1ヶ月半後でした。

認定レベルは要介護1でした。

なぜ、こんなに遅れのか。

 

介護認定が遅延しているという旨の書類が届きました。

すぐに市役所と病院に電話しました。

 

市役所の担当者は、主治医からの意見書がないから、止まったままだった。

病院の話だと、ちゃんと送った。

 

今すぐ、手続き必要なんですか?とも言われました。

急いだほうがいいと言われて、その足で手続きをして面談も急いだのに。

 

最初に相談した日、主治医は1ヶ月以内に、全介護になると言っていました。

でも、申請がおりたのが1ヶ月半後。

家族がどんなに急いだって意味がないと思いました。

 

幸い、まだ 全介護の状態ではなく、自宅の車で通院していました。

病院に着いてから車椅子を使いました。

 

療養型病院、ホスピスも問い合わせしていました。

病状を何度も聞かれ、療養型病院も末期がんの受け入れは難しそうでした。

 

ホスピスは県外しかなくて、場所と経済的なこともあり 断念しました。

家族が簡単に会いに行けない。そんな療養型病院が本人にとっていいのか。

 

そのうち、完全な寝たきりになりました。

全介護の状態です。多分、その頃 申請したら、介護認定は変わったと思います。

もうあと少し、ここまで来たら家族で頑張ろうということになりました。

 

最後に

義父の場合は、末期がんでした。

けど、いつまで続くかわからない介護だったら先が見えない。

長年連れ添った夫婦、どちらにとっても辛い状況となります。

 

精神面、肉体面の負担が大きい。

介護している人まで倒れてしまう。

 

末期がんの場合、40歳から64歳までの人も受けることができます。

特別なベッドや車いすを借りられます。入浴サービスもあります。

 

訪問介護は介護保険を使えば1割でした。

最初は利用するつもりでいましたが、タイミングを失いました。

 

高齢者が高齢者を介護する老々問題の果ての悲しいニュースも目にします。

行政の助けは?って思いますよね。

申請して、タイミングよく 受けやすいシステムになっていないんだと思います。

まず、自分から 積極的に動かないといけない。

 

病院、市役所、地域包括センターが連携。

手続きがスムーズで、もっとわかりやすくなればと思いました。

以上、介護の時の経験を簡単ですが ここに残しました。